ミャンマー資本市場創設メンバーが語るミャンマー経済・投資の実際

ミャンマーの民度を考える(ミャンマー人の国民性は経済的な豊かさをもたらすのか)

日本人は民度が高いと言われる。

特に近隣国との差異において、多くは自国民が、稀に他国からもそのように評価される場合があるように思う。

「民度」とは、国民性の水準、或いは国民の行動形態・モラルの成熟度を示すものとして使われているように思うが、その定義は曖昧であるし、また偏見や差別を助長しかねない側面も含んでいるように感じられ、その為、オフィシャルな場では使えない用語なのだろうと思ってきた。

ところが、在位30年を迎えられた天皇陛下の記念式典( 2019年2月24日)において、天皇のご発言としてこの「民度」が使われたことで認識を改めた。

文脈としては、以下の通り「日本人の『民度』が象徴としての自身の存在を規定してきた」という流れで使われた。

「 天皇としてのこれまでの務めを,人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。これまでの私の全ての仕事は,国の組織の同意と支持のもと,初めて行い得たものであり,私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは,その統合の象徴であることに,誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と,過去から今に至る長い年月に,日本人がつくり上げてきた,この国の持つ民度のお陰でした。」

「 災害の相次いだこの30年を通し,不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも,健気けなげに耐え抜いてきた人々,そして被災地の哀かなしみを我が事とし,様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は,私の在位中の忘れ難い記憶の一つです。 」

天皇陛下は日本人の「民度」の高低について言及されてはいないものの、後段のご発言が前段の文章の延長線上にあるとすれば「人を想うことが出来る国民性が日本人の民度に内在している(更にはそれが統合の象徴としての自分を動かしている)」ことを示唆されているのかと思う。

私は「一人当たりGDPはその国の『民度』に一定程度収斂する」という仮説を長く持ち続けている。「民度」の定義すら曖昧な中、なかなか乱暴な議論ではあろうが。。

ただ、それは私がミャンマーを選んだ「前提」とも言えるものである。

ミャンマーの民度は高く、一方経済的豊かさは(少なくとも統計的には)低く見積もられているとすれば、そこには顕在化されていない伸びしろにベットする価値があるということになる。

さて、海外の生活が長くなると、改めて私自身、日本人の民度の高さを思うことがある。勤勉さや思考の深さを追求する点において特にそれを思う。

日本が戦後の焼け野原から経済成長を果たしたのは、時の社会情勢や国民の絶え間ない努力にあった部分もあろうが、元来の民度の高さがそれを支えたのかもしれない。

明治維新から40年足らずで大国ロシアに打ち勝ったことは誇らしいことに違いは無いが、江戸時代の末期(19世紀中ごろ)には、既に日本のGDPはアジアトップクラスにあったというデータも見られる。鎖国政策の中にあっても、内需の拡大が長期にわたって持続されてきたというのだ。

先の私の仮説が正しいとすれば、時代時代に応じて外部環境の悪化や政治的な失敗は起こり得ようが、日本人の民度の高さを失うことさえなければ、日本が奈落の底に沈み続けることは無いのだろうと思う。

人口減少や財政悪化など悲観論は事欠かないが、百年後の日本も相変わらずアジアの中で重要な役割を担っているのでは無いかと思う。もちろん、そう信じたい気持ちもある。

ミャンマーに話を戻すと、歴史的にはこの国の繁栄が読み取れる。それはおそらくは「民度」の高さがもたらしたものでは無いかと思う。

泰緬戦争(1765‐67年)では、ビルマはシャムを破り4世紀以上続いたアユタヤ王朝を滅ぼした。

地政学的な要素もあろうが歴史的に貿易は盛んに行われ、1960年代までは東南アジアの盟主として他国の模範となっていた。

シンガポールの建国の父リークアンユーはビルマを国造りの模範としたとの逸話もある。

日常の生活の中で見ても、ミャンマー人同士の団結、義理を重んじ愚直に努力する姿、盗みを働かない精神、どの社会にも例外はいようが、私なりの平均値として浮かび上がってくるミャンマー人の民度は決して低くは無い。

世界寄付指数(world giving index)という指標が毎年公表されている。

「見知らぬ人への支援」、「寄付」、「ボランティアへの参加」等をスコアリングしたものであるが、ミャンマーは2014年から2018年の4年連続世界一位を記録した(2014年は米国と同率1位)。

特に「寄付」については、圧倒的な高さを誇っており、相互扶助の精神が浸透している。

他の仏教国との比較においても際立っていることは、この結果が宗教だけに起因しているということでも無いことを裏付けている。

今日、隣国タイの首都バンコクとヤンゴンの街並みは、そもそも比較の対象として不適切なほどの差異が生じている。

タイの外資開放や産業政策の成功、また当然そこにはタイ国民の猛暑下で滲んだ汗の蓄積もあるだろう。

ただ、両国の「民度」の違いに、ここまでの経済的な豊かさの違いを生み出す決定打があるとは感じ取れない。

本来、今のミャンマーがタイと同様になっていた可能性は大いにあり得たのではなかろうか。

ミャンマーの経済面における不幸な歴史は、約半世紀に及んだ軍事政権の影響が大きい。

1962年の軍事クーデターより2011年の民政移管までにおいて、ミャンマーでは、インフラ・法制度・教育等あらゆる側面で壊滅的な破壊或いは周辺国からの遅れを生じさせた。

一度壊したものを再構築することは決して容易でない。

ただ、「民度」というその国の源流にあるものからすれば、そうしたものさえ、表層的なものと言えるかもしれない。

「民度」さえ壊されていなければ、いつか必ず立ち上がる時が来る。

日本、ミャンマー、それぞれの中で流れる異なる色の悲観論の中で、「民度」などという漠然としたものの合理性は疑いながらも、大局観は失ってはならないのだろうと思う。

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