ミャンマー資本市場創設メンバーが語るミャンマー経済・投資の実際

ミャンマー軍事クーデター発生から1週間。ネット回線遮断が解消(二重政権樹立の可能性は?)

※ 本記事は、2021年2月8(月)ミャンマー時間12時に執筆しています。

※ クーデター発生日より、毎晩Clubhouseにて音声での情報発信を行っています(@myanshin)。ネット回線遮断時はご容赦下さい。ミャンマーの今を知って頂きたいという「信念」に基づいてお届けしています。

※ 発生日からの時系列、2月1日(月)2月2日(火)2月3日(水)2月4日(木)2月5日(金)の記事も合わせてご覧ください。

軍事クーデター発生から本日8日(月)で1週間が経過した。

5日(金)までの市内の平穏が幻であったかのように、6日(土)朝から発生したヤンゴンでのデモは次第にその勢力を強め、昨日7日(日)には数万人規模に達した。本日8日、また明日9日には全国規模のデモの呼びかけが行われており、足元最大限の警戒が必要な情勢だろう。また、各所で軍政へ与しないことの意思を表明するためのストライキ(civil disobedience campaign)の動きも広まっている。

デモは経済都市ヤンゴンに留まらず、既にミャンマー各地に波及している模様だ。昨日はタイとの国境付近ミャワディで警察がデモ隊に向けて威嚇発砲しており、緊張が高まっている。

<軍によるデモ制圧のシナリオは>

勢いづくデモの拡大に対して、国軍は現状概ね静観していると言える。デモ隊の発生地点には、警察官が交通誘導等のために配置されているが、軍兵士の姿はほとんど見られない。

国軍は、デモ抑制に向けたFacebookアクセス規制や、6日午前から始めたインターネット回線の遮断措置を取る一方、デモそのものについては現状では放置、或いは一部挑発している可能性も考えられている。

軍の動静に対する見方としては、(1)デモ拡大に伴うコロナの感染拡大をロックダウン強化と結びつける、(2)デモの暴徒化により、合法的、或いは国際社会の理解が得られる方法での鎮圧を行い、その正当性をアピールする、などの仮説が現地では挙げられている。国軍の思惑については様々な憶測が飛び交っている状況と言える。

ただ実際、一部のデモ隊が暴徒化する可能性は高いと思われる。数万人規模に膨れ上がるデモ隊は、必ずしも組織的なコントロールが働いておらず、例えば軍関連の店舗等に押しかけ、器物破損等に繋がってしまうこともあり得るだろう。軍はそうした事態をむしろ待ち構えていると考えることも出来るかもしれない。

<オーストラリア人経済顧問の拘束>

足元、気にかかるニュースとしては、アウンサンスーチー国家顧問の経済顧問であるオーストラリア人ショーンターネル(Sean Turnell)氏が拘束されたことが挙げられる。クーデター発生後のおそらく2月3日頃に拘束されたとみられているようだ。これに対し、オーストラリア外務省は2月6日付で 「豪州人や外国人がミャンマーで任意に拘束されているという報道を深く懸念している( The Australian Government is deeply concerned about reports of Australian and other foreign nationals being detained arbitrarily in Myanmar )」 との声明を発表している。同声明では、「警察署(Police Station)」にて拘束されているとの言及があることも重要だろう。

ショーンターネル氏は、NLDが政権獲得した2016年以前より、アウンサンスーチー国家顧問に近い存在として経済政策にかかわる助言を行っていた。2017年からは首都ネピドーに居住し、政権運営を補助してきた。

同氏のケースは今回のクーデターを受けた初の外国人の拘束である。また、NLDへの政党支援基金として知られているキンチー財団(Daw Khin Kyi Foundation:キンチーとはアウンサンスーチー国家顧問の母親の名前)に対する国軍の介入が始まっているとの情報もあり、NLDに近い存在を幅広く粛清する流れが生じている可能性がある。

<二重政権の可能性>

昨年11月に当選した国会議員約400名(大半は国民民主連盟(NLD)議員)は、2月1日のクーデター発生により首都ネピドーで拘束された。同日に開催予定であった議会参席のために集まっていたところを一網打尽にあったわけだ。

その後、3日までに拘束を解かれた際、軍は24時間以内にネピドーを離れるように指示。これに対し、一部のNLD議員(70名程)はネピドーに残り4日(木)独自に議会を開催した。 5日には既にネピドーを離れたNLD議員もオンライン上で加わり、独自の「就任宣誓(Parliamentary Oaths)」に署名した国会議員は298人に達した。また、同日には国際社会への支援を求める国連事務総長宛ての声明も公表している。NLD議員発の議会において、議長選出や、政権奪取に向けた方向性が議論されたか否かは定かでは無いが、今後、同議会により選出された政権をミャンマーの公式な政権として国際社会が認める動きが一時的にでも生じれば、それは2月1日に樹立された軍事政権との二重政権の成立ということになり得る。欧米社会が軍事政権を公式に容認するとは到底考えられず、また、米国の外交官が同宣誓式に出席していたとの情報も見られることから可能性はゼロでは無いだろう。

歴史上、1917年のロシア革命時において一時的に二重政権が生じた事実は見られるが、当時はロシア内部の事情、内政の部分が大きかったであろう。仮にミャンマーでそのような事態が一時的にでも生じるとすれば、それは国内事情というよりも、むしろミャンマーを取り巻く国際情勢によるものとなるかもしれない。

そこで重要となってくるのが、中国の動向だろう。中国は今般のクーデターを批難することはしていない一方、軍事政権を正式な政権として認めるという立場を明確にしているわけでは依然無さそうだ。中国の後ろ盾を得られない場合、軍事政権がさらに孤立化する可能性は十分考えらえるシナリオではなかろうか。

<ネット回線遮断中の現地動向:2月6日(土)から2月7日(日)>

普段通りの朝を迎えた6日(土)ではあったが、ミャンマー時間午前9時ごろより段階的にインターネット回線の切断が始まった。

ここからは同日朝から翌7日午後2時頃までの限られた情報アクセスの中で、私個人の動向についてお伝えしながら、現地の様子を振り返りたい。日記の域を超えない点、予めご容赦頂きたい。

さて、6日午前9時に私は翌朝のTBSサンデーモーニングの取材対応のため、ヤンゴン西に位置するアローン地区のオフィスにいた。周囲には何の変哲も無く、まさに平穏な土曜日の朝であった。

オフィスに到着後、9時半から始まる取材に向けてネット接続を試みると、固定回線として敷いている国営通信会社MPTの不具合に気付く。まだこの時点では携帯電話は使用可能であり、単にオフィスの通信環境の不備との可能性を疑っていた。

速やかに自宅に戻ると、異なるISP(5BB)であったためか接続は支障無く、そこでZOOMによる取材を開始することが可能となった。通信環境が良好とは言えない中で進んだが、その後10分ほどで自宅のWI-FIも遮断。携帯の回線に切り替えたものの、私が持つMPT及び軍系通信会社Mytelの回線のいずれもが、更に10分程して相次いで切断された。この時点で既にオフィス及び自宅の全てのネット環境を奪われたため、取材は続行不能な状態に陥った。

幸い携帯による「通話(国際電話含む)」には特段支障は無かった。社員及び友人からの連絡で、同時点において携帯キャリアの中では唯一北欧系のテレノール、また固定回線でも一部(Fortune等)が依然として接続が可能であることが判明。ネット接続可能な友人宅に移動することにした。インターネットの全面遮断が近いことを把握したため、友人宅で日本の家族への連絡を行った。

午前11時過ぎ、ヤンゴン市の学生街であるレーダンにて市民の抗議が始まっていることを把握し、現場近くを走行。無数の警察車両が現場に配備されると共に、クラクションを鳴り響かせる車が行き交い、騒然とした状況が広がっていた。警察官による道路封鎖、またそれを挑発するかのように多くの市民が声を上げ、対立の構図が浮き上がってきていることが感じ取られた。クーデター後から市民の中で積もり積もった憤懣が発散され、昨日までの平穏は過去のものという感覚を焼き付けるに十分な光景であった。

「軍による独裁が地に落ちますように(May the military dictatorship fall)」と書かれたチラシは行き交う人々に配られ、通り過ぎる人々は手を高く上げ3本の指を突き立てることで民主化支持の意思を表示。燻っていた怒りの感情への点火が街中に広がるのは時間の問題であり、恐れていた国民と軍政との間の目に見える対立が激化していく幕開けをこの時点ではっきりと感じとることが出来た

※ ちなみに、指を3本立てる仕草はデモ隊の至る所で見られるが、これはタイの反体制デモ隊が用いていたのと同様で、元は映画「ハンガー・ゲーム」で独裁者に対する抵抗の意を示すポーズ

午後に入るとデモはヤンゴン市内各所に発生。12時頃には既に私の周囲にネット回線に繋がっている人は皆無となり、ミャンマー国内で幅広くほぼ全てのインターネット回線が遮断される事態に発展した。

午後3時頃に訪れた市内のショッピングモール内では、 普段であれば市民の憩いの場として集われるはずが、土曜日にかかわらず多くのテナントが休業し、人の数も限定的な状況であった。ネット回線が遮断されたことで、ATMも当然ながら使用が出来なく、市民の中での混乱が広がっていた。

ヤンゴン中心域、特にダウンタウンでは道路上でのデモ行進に加え、車に乗りながらデモに参加する人がごった返し、警察官が交通規制に入っていた。クラクションの音が街中にこだまし、人々の声がかき消されるほどの騒然とした状況が見られた。前日の5日(金)には何の異常も見られなかった街の風景とは一変。その光景の最中、警察官が国軍兵士に置き換わられることの脅威を想起させた。

クーデター翌日以降続いてきた午後8時の抗議活動、すなわちフライパンや鍋の音を打ち鳴らす市民行動は同日も変わらず見られた。多くの市民が自宅の窓を空けて、外に向かって力いっぱい音を立てる姿がヤンゴン市中に広がっていた。私の自宅近辺では街を練り歩くデモ行進の声が夜10時を回っても続いていた。明朝からも引き続きデモが予定されているとの情報が、携帯のSMS(テキストメッセージ)を通じて現地日本人コミュニティの中で共有されたのは午後9時頃であった。

また午後9時頃にはアウンサンスーチー国家顧問が解放されたとの噂が国民の中で拡散された。首都ネピドーにいる私の友人を通じて国連関係者へ確認したところ噂はデマであり、おそらく国軍がデモを抑制するために意図的に流した嘘の情報であることが判明した。

空けて翌日7日(日)も依然としてネット回線の遮断は続いていた。朝10時頃に、ABEMA的ニュースショーの生番組への参加を予定していたが、ネット回線遮断のため、音声のみでの出演となった。その電話回線も、極めて繋がりにくい環境であった。

ネット遮断中も海外SIMの活用、或いは一部の高級ホテルのWi-Fiによる接続は可能な状態でありデモの様子は世界に向けて発信されていた。7日(日)の朝、学生街レーダンから発したデモ隊は、ヤンゴン中心地であるスーレーパゴダに向けて行進し、その規模は午後には数万人規模に達した。深夜12時まで続く予定であったネット遮断は、不思議にも午後2時には解消され、多くの人が一斉にネット上にデモの様子を配信。ただ、何故ネット遮断が解消されたのかは誰にもわからず、何とも不可解な動きであった。

※ Netblocksによれば、6日(土)のミャンマー国内からのインターネットアクセスは、午前10時の54%から午後2時には16%に激減。一方、午後2時時点で何故16%もの回線が接続可能であったのかは不明。

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